Manoa's ocean

Welcome :)

人間失格の彼は「合格」だった

おはよ〜

 

早くきれいな家にしたくって朝毎日すこしずつ

掃除してるんだけど、なかなか片付かない。

だって思い出のものがたくさん出てくる :(

 

その中で出てきた一つに、人間失格の感想文が出てきたんだけど

4年前の自分いいこと書いてるじゃん!と思って

社会派っぽいこと書きまーす!

 

私はこの本を読んで「落ち着いた」って感じたらしい

 

なんで腑に落ちて、安心に包まれたのか。

多分それは、「彼の心を支配していた不安感は

私たち誰しもが持っているものだから」だって。

 

いや深いこと言ってるようで、結構浅い笑

 

ここから、日本特有の価値観について切り込んでいく

 

他人と接する上で "当たり前" の感覚

・自分を繕う必要性

・相手の思考回路の推測

 

これを提示して、集団で行動したり人の和を乱さないためには

これらが必要であり、日本社会に強く根付いているだって。

 

ここまでも普通笑

 

そして「世間」について分析している。

世間は、広辞苑によると「社会、世の中、また世の中の人々」

って出てきたんだって。曖昧な定義だよね。

 

社会って、はっきりとわからない。

はっきりと定義ができないのは、実体がないから。

社会や世の中と言われて、何を想像するか。

特定の人や機関を想像できるかというと、できない。

だから、社会、世間とは不特定な私たちが創り出した

意識の上でしか存在しない。

 

それも世間というと、自分を除いた人の集まりのような

感じがする。そして、群衆も実体を掴みにくい

考え方や価値観が掴みにくい。何よりも群衆が怖いのは

周りより優位に立ちたいという人が誰かを

弾き出すことで上に立とうとすることが起こる

つまり、もし世間を敵に回せば自分が外されて

1人であるという孤独感や疎外感を感じる可能性がある

だから、実体がないにもかかわらず、私たちは

世間から外れないように、発言し、行動する。

 

だが、実際世間は怖いものではない。

なぜなら私たちが思う世間は、世界の規模で考えると

ほんの一部であるからだ。

世間=世界と考えてしまうときつくなる。

逃げ道がなくなるからだ。

 

私たちが世間と捉えるのは大抵、ほんの一部の人間たちで

住む環境や、周りの人が変わればそれによって世間も変わる。

そうすると、考える基準、normは変わってくる。

 

「だから、私は世間に対する恐怖はない。なぜなら私は

自分を受け入れてくれる人が周りにいて、それが私の世間だからだ」

だって

 

めっちゃ幸せね、これ。「自分の小さな世間を大切にしたい」らしい。

 

では、この本を通して私が1番疑問に思ったことであるが

世間に自分をフィットさせるのは良いことであるか

 

幼い私は、二元論でしか考えられないから

そうする必要はない、だって。尖りたがってる笑

 

「例え異なる意見を持つ人がいても、批判せずにまず受け入れて、

自分の意見を言う。互いの意見を受け入れ合う」

 

ここで、強調しているのが

 

「受け入れると言うのは理解をすることではない。自分にはわからない

良さや感覚を理解するのではなく、そう言う考え方もあるのだと知るだけでいい」

 

この考え方私忘れてた。自分と違う意見をただ受け入れる。まず

ジャッジメントを発生させないで、ありのまま受け入れる

 

でもそれを頭でわかっていても、日本社会はそれをやりづらいらしい

 

「自分を好きになれない社会があるから」だって。

なぜか。幼い頃から、受験というメジャーで計られたり、

就職で成功するためのメソッドなど、自分のラベルと

自分を結びつけてしまう。常に、そのラベルのために頑張る。

そしてそのラベルは自分のためではなく、意外と

他人からの目線というのが大前提にある場合が多い。

 

もちろん自分で好きで、ラベルのためではない人もたくさん

見てきたので、それは知的好奇心が強いというその人の

長所を生かした筋にかなった選択だと思う。

 

でも、もしそれが苦手な子だった場合、自分の努力が

数値化され、制服を着せられ、システム化されたタスクを

こなす能力ばかりがついてしまった場合。

 

そのシステムから外れることや、自分のラベルが

違う色になってしまうことが簡単にできるだろうか。

と問題提起してる

 

まあ簡単に言えば、受験嫌だったみたい笑

 

このように、常に自分の価値観で動くよりも、

他者を優先する価値観のおかげで日本は先進国の中で

あり得ないくらい安全で、質の高いサービスと

幸せな生活ができるようになっているけど

 

常にシステムとラベルのために敷かれてきたレールを

引かざるを得ない子供達。そこから出るには

経済力が必要という社会の中では、

そこに順応し、うまくやっていくために

自分を押さえつけ、表現しない方が楽だ。

 

主人公は、この社会の空気感に苛まれた結果

自らを苦しめることになる。

 

だからそこに苦しんだ彼は、「失格」などではなく

「合格」だった。一歩自身の小さな世間という

バブルから出ていれば彼は合格の人生を送れていた。

 

日本人がもっと心に余裕を持って、

自分が基準で動けるようになったら

みんながもっとリラックスできるんじゃないかな〜

 

そんな社会の意識が持てるように

なったらいいね